大阪の特に地下鉄には読み方がむずかしい駅名がたくさんあります。
その中でも、読みづらさで圧倒的に有名なのは「喜連瓜破」。
そこでこの記事では、疑問を解決すべく次のような内容をご紹介します。
- 喜連瓜破はどうやって読むの?
- 喜連瓜破の名前の由来は?
- ほかに大阪で難しい駅名はある?
記事を読めばむずかしい大阪の駅名について詳しくなれますので、ぜひご覧ください ヾ(๑╹◡╹)ノ”
喜連瓜破の読み方は?
喜連瓜破は大阪メトロ谷町線の駅名です。
読み方は、「きれうりわり」
きれうりわり
なかなかむずかしいですよね!
「きれ」と「うりわり」という、駅が位置するふたつの地域を駅名に取り入れています。
平野区に住む地元民は特に意識していませんが、大阪の人でも平野区民以外だと読めないこともあるんですよ。
ちなみに喜連瓜破駅は毎日約2万3千人が利用し、イオンやライフといったショッピングセンターも隣接する活気のある駅。
では続いて、なぜ駅名が「きれうりわり」になったのかという理由や、「きれ」と「うりわり」の名前の由来をご紹介します(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
喜連瓜破の名前の由来は?
喜連瓜破(きれうりわり)は、平野区の喜連(きれ)地域と瓜破(うりわり)地域の名前をあわせて作られた名前です。
1980年に開業した地下鉄谷町線の喜連瓜破駅は、もともと喜連駅になる予定でした。
その理由は、駅が平野区喜連2丁目に位置するからです。
しかし、そこで瓜破地域の住民から反対が起こりました。
なぜなら、瓜破は喜連と隣接していて、道路を挟んで向かい側にあるのに不公平だということからです。
喜連住民も瓜破住民もお互いゆずらす、結局両方の名前を組み合わせて「喜連瓜破駅」が誕生しました。
駅が「喜連」地域と「瓜破」地域にまたがり、両地域住民がゆずらなかったため、名前が組み合わされた。
では、「喜連」と「瓜破」のそれぞれの名前の由来はどうなっているのでしょうか?
続いてご紹介します。
喜連の名前の由来
「喜連(きれ)」は、古代中国の「呉(くれ)」がなまって「きれ」になったといわれています。
なぜ平野区の地域と呉が関係あるのか?
それは、古代に中国の呉人が当地域に集団で移住してきたからです。
呉人は日本に次のような技術を伝授しました。
- 織物技術
- 土木技術
- 工芸技術 など
最初は「伎人郷(くれのごう)」と呼ばれていたのがなまって、「喜連(きれ)」になったと言い伝えられています。
喜連という地名は、鎌倉時代から使われた歴史のある名前なんです。
瓜破の名前の由来
一方「瓜破」は、食べ物の「瓜(うり)」に由来してつけらた説が有力です。
ふたつの説があるので、ご紹介します。
- 平安時代、当地域を弘法大師空海が通りかかったときに、のどを潤してもらうため住民が瓜を差し出した。
- 道昭法師が三密行法をしていると仏像が落ちてき、手元にあった瓜を供えたところパカッと割れた。
どちらも宗教的な由来であることがわかります。
「喜連」地区と「瓜破」地区はお隣同士ではありますが、江戸時代には次のよう大きな違いもあるんですよ。
- 喜連は摂津国住吉郡に属していた
- 瓜破は河内国丹北郡に属していた
つまり、歴史的には国境をまたいだ地区というわけです。
両方とも歴史がある地域なので、駅名が誕生するときにお互いゆずれなかったのではないかと思われます。
大阪の難読駅名トップ5は?
喜連瓜破は、大阪の駅名でも読むのが相当むずかしい名前のひとつです。
でもほかにもけっこう難解な駅名があるんですよ。
ここでは、とっておきの5つの駅名を読み方と由来をあわせてご紹介します。
由来は諸説ありますが、代表的なものを取り上げました。
- 放出(はなてん)
・淀川への放出口なので「はなちてん」から「はなちで」→「はなてん」
・くさなぎのつるぎを盗み出した僧の道行が、神の怒りをおそれて剣を放り出した - 西中島南方(にしなかじまみなみがた)
西中島町と阪急の駅名「南方(南の干潟)」を合体 - 枚方(ひらかた)
「平らな地方」もしくは、白波が立ち寄せる「白肩(しらかた)」から - 土師ノ里(はじのさと)
河内国志紀郡土師郷に属していた - 柴島(くにじま)
平安時代からクニキ(雑木、炭の原料)島と呼ばれていた
喜連瓜破の読み方や名前の由来は?のまとめ
喜連瓜破の読み方は「きれうりわり」です。
またこんなにむずかしい名前になった理由には、歴史がある「喜連」地区と「瓜破」地区がお互いゆずらず、両方の名前をくっつけたということもわかりました。
難解な読み方の駅ですが、深い地元愛のあらわれが反映している駅といえます。
大阪の地下鉄には特にむずかしい読み方の駅名が多いといわれているので、ぜひ地図などでご覧になってください (๑•᎑•๑)